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名古屋高等裁判所 昭和59年(行コ)14号 判決 1987年5月27日

控訴人(原告) 小林弘文 外一一名

被控訴人(被告) 杉浦公明

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

原判決を取消す。

被控訴人は愛知県に対し、金二億三九三六万二五〇〇円及びこれに対する昭和五一年一二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

仮執行宣言。

二  被控訴人

主文同旨。

第二当事者の主張

当事者双方の事実上法律上の主張は、以下に付加するほか、原判決の事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。(但し、原判決四枚目裏二行目の「ある」を「、公金支出当時あつた」と、同一三枚目裏九行目の「当庁で」を「名古屋地方裁判所で」と改める。)

一  控訴人らの主張

(一)  西浦地区総括表(甲第二号証の六、この文書は遅くとも昭和五一年一二月二二日には完成している)掲記の「協力費」(金二億三九三四万八〇〇〇円)、「土地価格」(金四億三一〇二万五〇〇〇円)、「協力費と土地価格の合計金額」(金六億七〇三七万三〇〇〇円)と県の第一次買収価格、第二次買収価格、買収価格の総額は酷似している。このことは、地元と県企業局との間で、既に昭和五一年一二月当時、本件山林買収(第一、二次)金額の総額が金六億七〇三七万三〇〇〇円と確定的に合意されていたことを明らかにするものというべきである。そうだとすると、西浦地区総括表は浦地区長牧野の単なる「腹おさえ」の文書であるとはいえず、田原町助役柴田及び被控訴人がその作成に関与していたことは否定できないところで、そこに明記されている協力費は、海面下土地所有権訴訟を提起させないことを目的とした公金支出であつたといわねばならない。

(二)  県企業局長は田原町長の照会に対し、昭和五〇年七月二一日「海面下土地について滅失登記無効訴訟確定後も、出訴せず滅失登記に応じた旧地主が不利益にならないよう公平に処理する」旨回答したが、これは地自法一〇条二項の「住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有する」との規定との関連上吟味の要がある。同条項にいう「役務の提供」とは、地方公共団体及び地方公共団体の機関によつて行なわれる役務の提供の双方を含み、公の施設の共用権のみならず、地方公共団体の諸種の施策を含めて地方公共団体が住民に対しサービスすることをいい、また、「ひとしく受ける」とは、住民ならばなにびとも同じ資格で区別なく平等に享受できるという意味である。従つて、県企業局が海面下土地所有権訴訟における原告勝訴判決により生じた浦、波瀬地区住民らの動揺を鎮め、その後の用地造成事業を地元の協力を得て円滑に進めるという観点からも検討し、総合的な見地から地元の要望に応え、本件売買契約を締結していることは、住民を差別的に扱う目的ないし動機の下に本件売買契約を締結しているものであつて、それはただちに違法、無効なものとなる。

(三)  以下の事実に鑑み、本件山林買収には、その必要性も緊急性もなかつたものといわねばならない。

(1) 昭和四〇年代初期のグリーンベルト構想の一環としての本件山林買収、保存計画なるものは、予算の裏づけもない夢のようなもので実現性のあるものではなく、本件買収行為を正当化するため持出された口実に過ぎない。また、県企業局には、昭和五一年以前には、西浦地区山林買収の公的計画は存在せず、田原町が同四八年ころから、その買収を陳情して来ていた事実もない。

(2) 本件山林買収は、トヨタ自工が造成地を買受けていたこと、同社との間に、県企業局が「同社取得の造成地について第三者から権利の主張があつたときは、県の責任においてこれを解決する」との覚書を取交していたことからみて、右トヨタ自工買受土地についての海面下土地所有権訴訟の提起を防止する必要上、口止め料支出のため欠くべからざるものであつた。そして、そのため、海面下土地所有権の問題は他地区にもあり、住民の動揺は他地区にも存したのに拘らず、本件地区住民についてのみ「地区の要望」に応え、他地区には何ら配慮しなかつたのは、行政に求められる「公平の原則」に反しているというべきである。また、トヨタ自工と田原町の間に、昭和五三年一月二六日公害防止協定が結ばれているから、「公害発生防止」のため本件買収をする必要があつたともいえない。

(3) 保安林指定は解除手続が煩瑣であり、森林法二五条一〇号の保健保安林指定の追加も考えうることからすれば、保安林指定解除の可能性はなかつた。また、本件山林を「地区所有のままでは十分保存、管理してゆくに財政的にも困難であり、県が買収するのが望ましい」とすれば、他の保安林についても同様の施策を講ずるべきで、これは県の保安林行政の大転換といわねばならないが、他の保安林にそのようなことは行われていない。

(四)  被控訴人は公営企業管理者として、上記のような本件山林買収をなして、公営企業会計に不利な影響を与え、健全性を損い、企業の経済性を阻害した。また、愛知県内陸用地造成事業及び臨海地造成事業の設置に関する条例では、一件二万平方メートル以上にかかる資産の取得は、地方公営企業法三三条二項の規定により予算で定められなければならないとすることからみて、本件山林買収面積の設定は、議会への予算の提案と審議から逃れるためのものであつたというべきである。企業局長にかかる買収をなす権限はなく、被控訴人の行為はその権限を大きく逸脱している。

二  被控訴人の陳述

控訴人らの右主張はいずれも争う。

第三証拠関係<省略>

理由

一  当裁判所も、控訴人らの本訴請求は失当としてこれを棄却すべきものと判断するが、その理由は、以下に付加、訂正するほか原判決の理由説示と同一であるから、ここにこれを引用する。

(一)  原判決二一枚目表三行目から四行目にかけての「右各証言」の次に(証人鈴木については原審及び当審)を加え、同四行目の「証人柴田芳三」、同二二枚目裏一〇行目の「被告本人尋問の結果」の次に、いずれも「(原審及び当審)」を、同裏七行目から八行目にかけての「乙第一号証」の次に、「(甲第一四号証については原本の存在についても争いがない)」を、同二四枚目表六行目の「一ないし五、」の次に「前掲証人馬渕の証言により真正に成立したと認められる」をそれぞれ加え、同二五枚目表一〇行目の「当庁で」を「名古屋地方裁判所で」と改める。

(二)  同三〇枚目表一〇行目の「窺え」の次から同裏末行の「総合すると」までを削り、同三一枚目表八行目の「おいても、」の次に「或る程度」を加え、同三五枚目表三行目から四行目にかけての「みる余地もある」を「みるべき余地が大きい」に改め、同八行目の「しかし、」から同末行の「ではない。」までを削り、同行の「したがつて」を「要するに」に改める。

(三)  控訴人らの主張について

(1)  控訴人らは、西浦地区総括表(甲第二号証の六)掲記の「協力費」「土地価格」及びそれらの合計金額が、県の第一次買収価格、第二次買収価格及びその総額と酷似していることからすれば、右総括表記載の各金額は、県企業局と地元との合意が確定していた山林売買の内容を示すものであり、協力費金二億三九三四万九〇〇〇円は本件山林の売買代金ではなく、海面下土地所有権訴訟提起抑圧のための支出金であつたというべき旨主張する。

確かに、本件山林を含む保安林の総面積は約九万五〇〇〇平方メートルであるが、そのうち県による第一次買収の本件山林一万九五〇〇平方メートルの買収価格金二億三九三六万二五〇〇円(一平方メートル当り金九〇七五円)、第二次買収予定の山林五万八七〇〇平方メートルの買収予定価格金四億三一〇〇万円(一平方メートル当り金七三四二円)、買収予定総額金六億七〇三六万二五〇〇円(以上の点は当事者間に争いがない)と、浦地区長牧野が田原町役場職員鈴木愿の助力を得て作成したとする西浦地区総括表掲記の協力費、土地価格、及びその総額とは酷似する。しかしながら、以下のような事実を考慮すると、右酷似の故に、総括表の記載は地元と県企業局との間の山林売買に関する合意の内容を示すものであり、従つてそこに記された金二億三〇〇〇余万円は、土地代金ではなく出訴抑止の協力費としての支出であるとは認め難いものというべきである。

(イ) 前掲甲第二号証の六によると、西浦地区総括表は、土地面積を二万八七三五坪とし、単価坪当り金一万五〇〇〇円、土地価格総額金四億三一〇二万五〇〇〇円とし、協力費は海面下土地二三万九三四八坪に坪当り金一〇〇〇円、総額金二億三九三四万八〇〇〇円とみて、合計金六億七〇三七万三〇〇〇円と計算しているが、土地代金算出のもととしている土地面積二万八七三五坪(約九万五〇〇〇平方メートル)は本件山林を含む保安林の総面積であつて、買収予定土地の面積ではないし、坪当り金一万五〇〇〇円とする単位地価も、前掲牧野証言中に漠然と右価格をいう部分がある以外は、本件証拠上その算定根拠を窺うに足るものがない。むしろ、本件支出金を本件山林代金とみることは、後記のとおり充分肯認しうるところであること、前掲牧野、柴田、近藤各証言、被控訴人本人尋問の結果を綜合すると、県企業局担当課で補正予算要求の予定から調査、試算していた第二次買収山林の見込価格も含め、山林買収価格の概略ないし情報が、町当局を経て浦地区長牧野のもとに届いていたことは充分考えうるところであることなどからすれば、前記総括表は、前認定(原判決引用)のとおり、同区長の謂はば個人的な地元民説得資料ないし配分案とみるべき余地の大きいものというべきである。

(ロ) 当審証人柴田芳三の証言によりその成立を認める甲第一三号証の八、成立に争いのない同第一五号証の二、第一七号証の三、前掲乙第一三号証の一、二、第一四号証の一ないし五、第一六ないし第一九号証、牧野(原審)、柴田(原審及び当審)、馬渕、石川、近藤(第二回)各証言、被控訴人本人尋問の結果(原審及び当審)を綜合すると、田原町保安林買収予定面積七万八二〇〇平方メートルの内、第一次買収の対象となつた本件山林については、田原町助役柴田芳三はこれを坪当り金五ないし六万円として県企業局に売込んでいたが、同局としては、予算との関係もにらみ合わせ、樹令八〇ないし一〇〇年のくろ松が多生し、グリーンベルト構想地帯のうちでも優れて美林である本件山林を、とりあえず昭和五一年内に買収することとしたものの、同年三月及び一〇月に県が買入れた本件山林附近の住宅地進入路用地、排水路用地が平方メートル当り金九〇七五円(坪当り金三万円)の価格であり、当時企業局担当課内では、本件山林の地価相場が坪金三万円と認識されていたなどから、その土地価格を平方メートル当り金九〇七五円と見積り、これに地上立木の価格を、現在生立している林分の価値を造成するに要した投資額を現価において評価する所謂造林費用価法で算定し、更に公共用地損失補償基準における庭木樹価や、造園材、建設材市価が高さ(長さ)四ないし四・五メートル、幹周もしくは末口三〇センチメートル程度の松一本でも三万三〇〇〇円から三万六〇〇〇円位とされていることも考慮して、平方メートル当り金三二〇〇円と評価し、買収価格を右合計平方メートル当り金一万二二七五円とした、そして、前記売込みの値段がもともと可成り吹つかけ気味のものであり、年内に代金を地区民に分配しうるなら相当の減額もやむを得ないと考えていた柴田助役も、右買収代金額を受け容れ、本件山林の売買契約が成立した、また、企業局は、引続きその余の第二次買収山林五万八七〇〇平方メートルも翌五二年二月の補正予算に予算要求して買収する予定で、担当部課においてその対象地価格の調査、評価を鋭意進めていたが、第二次買収予定地は第一次買収地に較べると、第一次買収地に近い価値と思われる部分もあつたが、林相や土地の形状からその一割程度に過ぎないとみられる部分も少なくなく、大別して約三万八七〇〇平方メートルは第一次買収価格に等しい額、約二万平方メートルは平方メートル当り金二二〇〇円程度、平均して一平方メートル当り金七三四二円と見積つていた、ただ、第一次買収がその後の県会等で問題視されるようになつたため、第二次買収は、昭和五二年二月の予算要求をひとまず差控えることとなつたとの事実を認めることができる。そして、以上の事実に照らせば、第一次買収における本件公金の支出は、買収地の適正な土地代金(立木価を含む)として充分肯認しうるものであり、その単価より第二次買収地の予定単価の方が低いからといつて、これを別途な性格、目的の支出金とみるべき根拠とはなしえないものといわなければならない。

(2)  次に、控訴人らは、本件売買契約は地自法一〇条二項に違反する違法、無効なものである旨主張する。しかしながら、被控訴人が、浦、波瀬地区の海面下土地旧所有名義人に対してのみ、海面下土地所有権訴訟を提起しないことの対価として金員を支払つたもの、と認められないことは前認定のとおりであり、本来、用地造成事業に伴うグリーンベルト計画に基づき、買収が予定されていた地域の一部である本件山林を浦、波瀬地区の旧所有名義人らの動揺を鎮め、その後の用地造成事業を円滑に進めるという副次的効果も考慮にあつたにせよ、それらも含めた綜合的判断のもとに買収することとして本件売買契約を締結し、その代金として本件公金を支出したものである以上、右売買契約の締結をもつて、住民を差別的に扱つた「役務の提供」に当ると解する余地はないというべきである。

(3)  控訴人らは、本件山林買収は、その必要性も緊急性もなかつたものであるとして種々主張する。しかしながら、

(イ) 成立に争いのない乙第二六号証、原本の存在と成立ともに争いのない同第二三号証の一ないし四、第二四号証によると、工業地帯環境整備計画(グリーンベルト構想)は、昭和四六年度から同六〇年度までの一五年計画として具体的に立案され、そのための民有林買収も考慮されており、現に本件山林売買当時までに総面積約二〇万五〇〇〇平方メートルの緑地帯(衣浦、田原、大崎、蒲郡地区)が企業局により確保されていたことが認められるから、グリーンベルト構想は夢のようなもので、本件買収行為を正当化するため持出された口実に過ぎない、ということはできない。そして、これに前掲乙第二、第九号証、柴田証言(原審)も併せ考えれば、もともと企業局に本件山林買収の公的計画はなく、田原町が買収を陳情して来た事実もなかつたともなし難い。少なくとも、本件買収が海面下土地所有権訴訟抑止のための協力金支出に形をつけるため、急遽案出、決定されたものとは到底断じられない。

(ロ) 成立に争いのない甲第三二号証の二と当審証人斉藤登茂雄の証言によれば、県とトヨタ自工との間において、同社が買受けた造成地につき、控訴人ら主張のような覚書が授受されていることが認められるが、本件売買契約が県の用地造成事業における環境緑地整備計画に基づく同計画実現の一端であつたとみるべきことは前認定のとおりである。従つて、そこに海面下土地所有権訴訟に関する地元住民の動揺の鎮静化という副次的効果への考慮も働らくところがあつたとしても、本来はグリーンベルト構想に添う売買契約であり、その代金の支払いであつて、海面下土地所有権訴訟提起制止の口止料、協力金の支払いでないことからすれば、これをもつて他地区住民の動揺を配慮せず、行政に求められる「公平の原則」に反したとすることはできないというべきである。また、成立に争いのない甲第四〇号証によると、グリーンベルト構想は、公害防止の面もないではないものの、緑地そのものには公害を効果的に喰い止める機能は乏しいとして、「みどり」による環境の保全、工場の裸出を避ける景観上の遮断効果、新らしい郷土景観の造成、既成都市域と造成地の間の土地利用の地割の明確化、工場勤労者に対しては工場に接して豊かな緑があることにより精神的な安定をもたらす心理的効果等勤労環境の確保などを目指していることが認められるから、トヨタ自工と地元田原町との間に公害防止協定が締結されているから、本件山林買収をする必要はない旨の控訴人らの主張は失当といわねばならない。

(ハ) 更に、本件山林の保安林指定の解除については、前認定(原判決引用)のとおりその可能性が無かつたとはいえないのみならず、この点を暫らく措くとしても、前記のような緩衝緑地帯構想の目指すところからすれば、その目的に添つて対象地の整備をし、或いは適宜公園化等の施工をなし、かつ、その維持、保全、管理を行つてゆくことが必要であるというべく、そのためには本件山林を県有地として取得する必要がなかつたものとはいいがたい。また、本件売買契約は、本件山林が企業局のグリーンベルト計画実行上その対象地域に存在したからなされたものであつて、本件全証拠によつても、これを保安林行政の一環として、保安林であつたが故に買収したものであると認めるに足るものはない(なお、原本の存在と成立ともに争いのない甲第三九号証によつても、企業局が保安林行政に関与するところはない)から、控訴人ら主張のように、県内の他の保安林にも同様の買収が行われたかどうかを論ずる余地はない。

要するに、本件山林買収は、被控訴人が公営企業管理者としての適法な裁量権の範囲内において、かねてからのグリーンベルト計画実行の一環として、地元(売主)との売買交渉の経過上、予算措置の可能な限度と時期のもとになされた必要かつ相当なものであつたというべきであるから、これをその必要性も緊急性もなかつたとする控訴人らの主張は、到底採用することができない。

(4)  叙上認定、判示したところ(原判決引用部分を含む)に照らせば、被控訴人が本件買収によつて公営企業会計に不利な影響を与え、健全性を損い、企業の経済性を害したと認めるに足るものがないことは明らかといわねばならない。また、本件山林買収面積の設定が、県議会への予算の提案と審議から逃れる意図のもとになされたともたやすく断じ難い(むしろ、本件買収交渉の経過、殊に売主の年内買収の希望と代金額の折衝の経緯、本件買収代金は県議会の議決を経た予算の範囲で支出され、残部山林の買収も翌年二月の補正予算に予算要求の予定で、実際にその準備作業も行われていたことなどに鑑みると、そのような意図はなかつたというべきである)。従つて、また、被控訴人に本件山林を買収する権限がなかつたとか、右買収がその権限を大きく逸脱してなされたともいえない。これらの点についての控訴人らの主張も理由がないといわねばならない。

二  よつて、右と同旨の原判決は相当であるから本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 黒木美朝 西岡宜兄 喜多村治雄)

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